今年下記のような旅をしました。国際交流11期の方から話を聞きたいといわれましたが、
猛暑のことでもあり、旅行記にまとめてみました。ご興味があればお読みください。
メキシコ、テキサス、ミネソタの旅(6月22~7月26日)
杉原行幸
例年アメリカ、ミネソタ州のミネアポリスに2週間ほど滞在しそれに絡めて、近くを周遊しています。昨年は北部に隣接するカナダ東部をモントリオールから、赤毛のアンのプリンス・エドワード島まで足を伸ばしました。一人旅の気楽さです。
今年は遠くテキサスとメキシコに飛ぶことにしました。
テキサスには以前から興味がありました。青春時代、映画と麻雀くらいしか娯楽がなかった時、心を躍らせたのはアメリカ西部劇、ジョンフォード監督、ジョンウエイン主演のリオグランデやアラモ砦です。カウボーイの颯爽たる姿が心に刻まれ、テキサスはアメリカのなかでも私にとって特別な存在になりました。また、私が30歳の時、1963年にケネデイがダラスで暗殺されたのもテキサスで起きた大事件です。
テキサスといえば石油ですが、今はヒューストンのNASAが脚光を浴びています。
多くの日本人飛行士が訓練を受けているNASAを一度見たいと思っていました。
テキサスまで来ればすぐメキシコです。世界の主な国でメキシコだけは何故か行っていなかったし、遺跡も多く、カリブの海も楽しみたかったので行くことに決めました。
問題は一人旅でスペイン語がわからず、英語もほとんど通じないことです。急遽3カ月で最少必要限のスペイン語を覚えました。後は電子辞書を携帯すれば何とかなります。
テキサスを先にして、ダラスから列車で国境の町エルパソまで行きました。エルパソからは、リオグランデにかかる橋を渡って歩いてメキシコに入ることができますが、エルパソに住んでいるメキシコ人から「メキシコは危ないよ。Killingやgunは当たり前だよ」と脅されヒューストンまで戻って飛行機でメキシコシテイに飛びました。
行ってみると首都メキシコシシテイの繁華街はライフルを持った警察が随所に目を光らせており、近郊の静かな町やカンクーンなどのリゾートは平穏で、危険なのは国境周辺や
限られた地区のようです。
メキシコでは大きなカルチャーショックを受けました。見るものすべて日本の対局にあります。メキシコの民芸品は有名ですが、その形、色彩は日本人の感覚では考えられません。ハデハデ、色鮮やかで動植物、人間の形も異形で強烈です。
メキシコの近代芸術を代表するのはリベラをはじめとする3大画家が描いた大きな壁画群ですが、これも凄い迫力です。
スペイン人がメキシコ原住民にカトリックを布教するために、西洋のマリヤ様や聖人ではなく、現地人に自由に自分たちの姿で壁面にうずめさせた教会がありましたが、壁全体を覆い尽くす子供から大人までの顔は、かっと目を見開き、色も鮮やかなのは、日本の仏像からは考えられない光景で、心が静まるよりも落ち着かない感じがします。
スペイン人から押しつけられた宗教なのに、メキシコ人はキリスト教国では世界で一番信心深いのではないかと思います。土産もの売り場にも宗教画が多く売られているし、教会でも静かにお祈りをする人々を見かけます。大聖堂では日に3回ミサが行われ白衣の大勢の神父が並んで儀式をする姿に初めて遭遇しました。
それは人間性にも表れています。ほとんどのメキシコ人は貧しいのに、とても明るくそれなりに人生を楽しんでいるように見えました。
レストランや広場では陽気なマリアッチが随所で生演奏をしていて町は楽しい雰囲気です。近郊の町でも夜遅くまで人々が民族舞踊を楽しんでいると聞きました。
しかし、山の中腹に庶民というか貧民層の家屋が密集し、彼らは車を持たず、歩くか、たまにしか来ないバスを利用して生活しているそうです。
カンクーンで夜のカリブ海クルーズに出かけましたが、司会者をはじめ船員がやたら陽気で乗船客を盛り上げるのがうまく、往復2時間の船上、島での食後1時間、全員踊りまくりました。乗客は世界中から来ていますが、中南米の人が多いのと、司会者の巧みな誘導で全員が我を忘れて陶酔していく感じでした。
カリブ海は本当に美しく、ホテルには長いプライベートビーチがあり、プールも海とつながっている感じで解放感があります。
また、カンクーン郊外には自然を生かした広大な海洋公園があり、ありとあらゆるマリンスポーツが楽しめます。いろいろな用具も飲み物、食べ物すべてが入場料に含まれていて1日中いても飽きることはありません。帰る前には皆テキーラを飲みながら、お互いにどこの国から来た人かも判らないままに、声を掛け合って楽しんでいるのは、ホテルの優雅なビーチやプールで過ごすのとまた違った感覚です。
昔映画によく出てきたアカプルコにも行きましたが、リゾートとしての位置ずけは熱海の今と昔のような感じで、今はカンクーンの方ははるかに良いと感じられます。
メキシコは紀元前12世紀ごろから1519年にスペイン軍に侵略されるまで、各地で幾多の文明が栄え、保存状態の良い遺跡が多く見どころはたくさんあります。ピラミツドや石造りの建造物が多く、ペルーのマチュピチュとはまた違ったやり方で、マチュピチュほどの精巧さは見られないものの、なかなか見ごたえのあるものです。
メキシコシテイにある国立人類学博物館はこれらの古代文明の集大成で37の部屋があり、全部見るには1日あっても足りないほどの壮大なものです。
大英博物館やドイツの博物館群の展示品はいずれも植民地から奪い取ってきたものが大半であることを考えると、この博物館の偉大さがまざまざと感じられます。
しかしスペインに侵略されてからは厳しい運命に翻弄されました。スペイン風の建築が立ち並ぶ首都メキシコシテイは、先住民アステカの時代には湖上に浮かぶ大都市だったのが、スペイン人に破壊され、埋めたてられて、その上にその石材を使って建てられたものです。18世紀末に独立運動が成功しそうになったが、革命軍の統率がとれず略奪、虐殺が多発し民衆にも見放され失敗に終わります。その後やっと独立は達成されたが、アメリカとテキサスの領有をめぐって戦争に突入した結果更なる不幸に見舞われます。
現在のメキシコ人はスペイン人との混血が大半を占めていますが、その歴史は日本人には想像できないものです。
先住民から伝わるフェスタという祭りを楽しむ風習は今のメキシコ人の血に受け継がれ、生活を楽しむ陽気さがある反面、歴史の厳しさは独立戦争で見られた激情や現在の治安の悪さの根底に潜んでいる気もします。押し付けられた宗教を深く信じるようになったのも歴史の厳しさからの救いを求めたからだと思われますが、全体的には信心深い良い民族だと私には考えられます。
大壁画群はこの歴史を文字の読めない民衆に伝えるために始められた運動で、色鮮やかな迫力あふれるタッチで描かれたストーリーは見る人の心を揺り動かすものがあります。
芸術的にも高く評価される必見のものです。
メキシコにはカンクンやアカプルコのリゾート、メキシコシテイおよび近郊の町など9日間滞在しましたが、料理もおいしく近郊の町にも特色があり、楽しく有意義な旅でした。現地ツアーで知り合った人もデンマーク人、スコットランドの夫婦。コロンビア、コスタリカなど中南米の人々、それぞれお国柄が出て興味をそそられました。
テキサスではダラスのSixth floor, ケネデイを射殺したとされるオズワルドがライフルを構えて待ち伏せしていた旧教科書倉庫の6階が博物館になっていて、関連した資料や写真が展示されています。暗殺を報じた当時の新聞が路上で$5で売られていました。
テキサスは反ケネデイの風潮があったので訪問を止める人がいたのに、あえて選挙遊説に出かけ、しかも予定していたルートを変更して難にあったそうです。マーチン・ルーサー・キング牧師もベランダに出なければ撃たれることはなかったし、運命なのでしょうか。
ダラス近郊にはロデオショーがあり室内なのでそれほど迫力はありませんでしたが、それなりに面白いものでした。隣接するホートワースには、むかし牛の競りをしていたストックヤードという地区があり、当時の西部の雰囲気が残されています。
アラモ砦があるサンアントニオという町はきれいなところです。町の中央を流れる川を挟んでリバーサイドという町並みは美しく、良い雰囲気があってにぎわっています。
テキサスで一番気に入った町です。
国境の町エルパソはそれほど印象深くはありませんでしたが、流石にテキサスは西部という感じで、ジョンウェインの等身大の写真があちこちに飾られ、私の青春時代が蘇った気持ちがしました。
ヒュ-ストンは石油で繁栄した人口225万を数えるアメリカ第4位の大都市ですが観光の目玉はNASAのジョンソン宇宙センターです。スペースシャトル計画などNASの主要なプロジェクトの中心となってきました。広大な敷地内の大半の建物は非公開ですが一部はバスツアーで見学できます。月面着陸の時に使用されていた管制室、ロケットやシャトルの実物大の模型、宇宙飛行士の訓練施設の見学、月の石にも触れるし、無重力の宇宙空間も体験できます。バスツアーは1時間余りです。巨大スクリーンの映像などを見ていると半日かかります。
テキサスの首都はオースチンで、そこには行きませんでしたがテキサスがメキシコの一部だったころの大統領の肖像画やテキサス共和国のころのシンボル、一つ星、ローンスターが輝くアメリカ最大の州議事堂はテキサスの歴史を感じさせるといわれています。
現在では毎年FIと世界が注目するライブの音楽見本市が開かれ、ライブの盛んな音楽都市になっています。
最後は茨木にいたころ姉妹都市ということで、その後何度も訪れているミネソタのミネアポリスに2週間滞在しました。たくさんの友人がいて家族ぐるみで何回も夕食を楽しみ、旧知のテニスサークルの人々としばしばテニスをしたり、観劇、コンサート、ジャズクラブ、テニストーナメントを決勝まで何日も見たり、芦屋にいるのと同じ日常生活のリズムでゆっくりとすごしました。人口40万足らずのコンパクトな街ですが多くの美しい湖や緑に恵まれ、いろいろな文化施設、商業施設があって全米でも住みやすい街の上位に数えられています。住民は北欧やドイツを母国とする人が多く、日本人が共感できる部分があって、毎年訪れて友人たちと交流するのを楽しみにしています。
アメリカは飛行機だけでなく鉄道や長距離バスで1回30時間も降車せずに横断、縦断を試みアラスカからニユオリンズまで30くらいの州を回りましたが、何しろ広大な国で
やっと半分といったところです。
アメリカ政府には善悪いろいろな見方があるでしょうが、アメリカ人個人はフランクでフレンドリー、付き合いやすい人々だと思います。中国には近い割に数回しか行っていませんが、中国政府に良い感情を持っている人は少ないと思いますし、中国人個人にも知り合いを除けば、誰にでも親近感は持てません。その点アメリカ人は本当にフレンドリーだと思います。
危険だったり国内交通が不便な国には団体ツアーを利用しますが、大半は一人旅で世界50カ国ほどを回ったと思いますが、私の経験では個人的に悪い人には出会っていません。
みな親切で困ったときには誰かが必ず助けてくれます。
旅行ガイドには危ない危ないと書いていますが、個人旅行をやめてツアーに誘い込む策略かと思うほどです。注意を怠らず危ないところに行かなければ、私は個人旅行が一番楽しいです。旅は道ずれといいますが、日本人同士で行くより現地で友達を作った方が違う文化に触れられるので、私はなるべく一人で行くようにしています。
78歳になりましたが後4~5年は世界中を旅したいと思っています。
世界はどんどん変わっていて興味の尽きることはありませんね。世界の経済力が欧米からアジアにシフトし世界がすっかり変わるまでは生きていませんが、その頃は日本の存在感も落ちていそうで、あまり見たいとは思いません。
生きている間はまだ楽しいと思います。